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St_Hakky’s blog

心理学/人事/就活/留学/データサイエンス/バイオインフォマティクス/日頃思ったことについて書きます。

他人からの感情的ラベリングによる再帰型自己陶酔と他者への攻撃的ランク付け増大効果

その他 労働環境 心理学

こんにちは。最近、これについて考える機会が多かったので、書きまする。

それはそうと、意味のわからないタイトルすぎて草ですよね、全く。一つ一つ説明するスタイルで書こうと思います。

以下の順番で行きます。

  1. 他人からの感情的ラベリング
  2. 再帰型自己陶酔
  3. 他者への攻撃的ランク付け増大効果

○他人からの感情的ラベリング

これは、俗にいう「〇〇さんって、〇〇ですよね〜」という会話です。ちなみにいうと、僕は他人がどう思っていようが「どうぞご自由に」と思うので、あんまり気にしないのですが、これが良くも悪くも影響するシーンがあるな、と思ったのでこの話をまず書きます。

先日、某意識高い系ビジネスインターンのアフターイベントに行ってきたのですが、その際に幼少期の振り返りみたいな時間があったのですが、以下のような発言がありました。

・小さい頃、お母さんに褒められたいから、〇〇をした
・〇〇と言われることが嬉しくて、〇〇をした
・〇〇な子だね、と言われたので、〇〇をすることが増えた

他者からの感情的なラベリングが影響した例だなぁと思って聞いていました。ここで「感情的」と行っているのは、その人の主観によるものだからです。何もその人が客観的な尺度を持っているわけでもないのですが、その人の経験値から「感情的な主観」に基づき、ラベリングしている例です。

僕はこの影響は、幼少期ほど強くその人に影響を与えると思っていて、例えばこれはよく言われることですが
・「〇〇さんは良い子だね」と言われて育った子
・「〇〇さんは悪い子だね」と言われて育った子
では、その後の人生に影響を強く与えるといったようなことです。これがここで言う「感情的なラベリング」を指します。

再帰型自己陶酔

幼少期には限らず、これは影響を与えると思うのですが、特に幼少期の価値観形成のフェーズにおいて、「何を良し」とし、「何を悪し」とするかはすごくその後のその人の人生に影響を与えるのだなぁと。

そして、この「価値観」は周りにいる人たちの影響が大きく現れます。周りが良いと言っていたら良いと判断し、悪いと判断していたら悪い。その「集団の価値観」が個人に絶えず与えられ続けるのですから、「それを当たり前」とし、集団としての変化への思考が停止していきます。

そして、この集団としての変化がなくなった集団からの影響は個人にも影響を与え、再帰的に自己を酔わせます。

  1. 周りから感情的ラベリングが行われる
  2. ラベリングに基づき行動を行う
  3. 行動を行うと、周りから更に評価される

集団に変化がないことにより、この繰り返しが行われます。そして、その集団の中である程度の地位を獲得したとすると、その人はどうなるか。自分で自分をより集団に沿わせるような形にしていくため、自分でも気がつかないうちに、その集団の中での価値基準に染まって行きます。

別の集団の他者から見て「異常」となる人はこの例が多いような気がします。

○他者への攻撃的ランク付け増大効果

さて、このように価値観に染まった人はどうなるか。

例えば、以下のような話はよくあるかと思います。

・コードが書けないビジネスサイドはダメで、コードが書けるエンジニアほど良い
・学歴が低く、高所得でないやつはダメで、学歴が高く、高所得であればあるほど良い

僕はこれが良い悪いと言っているのではなく、ここで僕が言いたいのは、このような思想が生まれるのは、

  1. 感情的ラベリングが繰り返され、
  2. 集団の中で再帰的に自己を陶酔させていったから、
  3. それに沿わない他者を異常とみなし、
  4. 攻撃的な形で高位・低位を感情的ラベリングに基づき、ランクづけを行う

からではないかなぁと思うのです。そして、この効果は再帰的に自己をそまらせていけばいくほど、そうなるのではないか、そして、この効果をより受けている人ほど、自分がその集団でどのように思われているかを気にするのではないか、他者をラベリングするのではないか、と言うことです。

しかし、この価値基準は集団により大きく変わり、価値基準の平均より上か下かで分類すれば、それはおおよそ1:1になるだろうなぁと。

集団によって価値基準が変わり、評価が変わるのであれば、評価がされる集団に行けば良いわけで、評価がされない集団に行くことはほぼ意味をなさないし、たとえ行ったとしても評価がされないからと嘆く必要もなく、努力をすれば良いと思うわけです。自身が評価され、評価されない空間があるわけなので。

それでは。