St_Hakky’s blog

心理学/人事/就活/留学/データサイエンス/バイオインフォマティクス/日頃思ったことについて書きます。

チームの一致団結の感覚値と実際のズレ

こんにちは。多分さっきコーヒー飲んだせいか、腹痛い。

先日、とある超過密檄濃度高めインターンシップに参加してきました。

○チームの団結度をグラフ化

そのインターンシップの最終日に行われた振り返りの時間であったことです。あんまり書くと怒られるので、だいぶ伏せますが、そこではチームの団結度をインターンシップ開催期間中について、モチベーショングラフのように可視化する時間がありました。

成果はどのチームも大差ないものだったのですが、チームの一致団結度でいうと、様々なグラフが現れました。最初からうまくいっていたチーム、最初は微妙だったが途中から挽回したチーム、最初から最後まで大荒れだったチームなど、チームによって違う結果が生まれていました。

そこで面白かったことが起きたので、それについて今回は書きます。

○感覚的なチームの一致団結は実際の成果とは関係がない

まず、感じたのは感覚的なチームの一致団結度合いは、実際の成果とはまるで無縁だったということです。成果物に対するプロセスの合意や成果物に対するチームの意思統一などではなく、純粋に「仲が良くなった」や「お互いのことが良くしれた」ということで、チーム全体の一致団結度合いが向上したという感覚が得られていたからです。

これは、少なくとも成果を上げるために集まったチームメンバーとしては少し変な印象を受けます。加えて、変だなと感じたことは、「チームの一致団結度合い=成果物に対する満足度」となっていた感覚を、チームメンバー全員が体感していたことです。

これもまたおかしな話です。しかし、自分もそのように感じましたし、これを感じた上で客観的に別のチームの団結度などを見れた関係で気づいたということもあります。成果物単体で見れば、正直あんまり良くなかったはず(自分のチームもそうですね)が、「チームとしてすごく団結できていた(チームメンバーのプライベートなことが知れたり、色んな楽しい経験ができていた)」ことで、「成果が良かった」と感じていた点です。

不思議極まりないのですが、全体的に成果物を純粋にあげた班よりもどちらかといえば成果としては不十分でありながらも、班メンバー同士で一緒にできたという感覚を持っている班の方が満足度や充足度としては高かったように感じました。これが良いか悪いかは置いておいて、少なくともメンバー個々人の充足感は班メンバーとの結束度の強さが強い方が良かったと感じていました。

○「チームの結束度」の強さは成果物と無関係でも良いかもしれない

振り返りの中で見えてきた、成果物に対するチームの結束度の強さと満足度は、

・「成果物に対する」チームの結束度の強さ = 「仲の良さとしてのチームの結束度」× 「成果物へのステップの確かさと共有度」
・チーム全体の満足度 = 「仲の良さとしてのチームの結束度」+「成果物の良さ」

です。基本的に、仲が良くても成果物へのステップが曖昧なチームは、成果物への成果を上げれていないことが多く、逆に成果物へのステップの確かさがあり、きちんと共有できている班は、うまく成果を上げれているものの、「仲の良さとしてのチームの結束度」が不十分なため、相対的に「チームの結束度」が劣っているように見えてしまいました。

そして興味深かったのが、「仲の良さとしてのチームの結束度」だけでも、チーム全体の満足度が高いチームがあったのは、「チーム全体の満足度」が足し算で構成されているように感じたことです。

つまりここで言いたいのは、成果物に対するチームの結束度を高めるために、「仲の良さとしてのチームの結束度」は必要であるが、それは別に大縄跳びみたいなある種全然関係ないことでも、「仲が全体として良い」と感じさえすれば、何でもオッケーということです。

これはある意味衝撃的でした。個々人としてのつながりが強く、仲が良い状態があれば、満足度を高くできるということだからです。逆に言えば、仲が良い状態を促進すれば、仕事への満足度などが上がることを意味します。職場内の関係が良好であることは重要と知っていましたが、これまで経験した職場では成果の貢献度と仲の良さがある意味ニアリーイコールな会社が多かったため、ここまではっきりと感じることはありませんでした。

飲みニケーションへの補助や社内運動会・部活動など、これらはただのリフレッシュや会社の良さの一部としての福利厚生としてだけではなく、社内の仲の良さの一部として活用されている理由がより明確にわかった経験でした。

それでは。