St_Hakky’s blog

心理学/人事/就活/留学/データサイエンス/バイオインフォマティクス/日頃思ったことについて書きます。

精神的体力と身体的体力のバランス

こんにちは。ミャンマーに行っていたんですが、帰国後すこぶる体調が悪すぎて、ここ数日、「お腹痛い熱もある頭痛いし体もダルイので寝る→ちょっといいかも(多分全然良くない)→ほんのちょっと動く→同上のように寝る」のサイクルを繰り返しています。

寝てばっかいると腰痛くなるし、でも寝ないといけないし、んーって感じでパソコンの前に座っています。パソコンの前に座っているだけも勿体無いので、今日は最近考えていたことについて書きます。

○精神的体力と身体的体力

最近は、このバランスの維持と継続が大事なんだなと思うようになりました。俗に言う、若さとはこの両方が備わっている状態のことを言うのだと思います。僕がこの言葉を定義しているだけなので、この言葉があるかどうかは知りません。

精神的体力とは、やる気などの精神的に何かに対して向き合う体力のことを指します。「さぁ〇〇するぞ!」とかそういう感じのやつですね。身体的体力とは、健康とニアリーイコールです。健康状態に精神状態が含まれない状態のことを指しています。

○精神的体力>身体的体力

これは、僕のパターンです。心は溢れんばかりの活力に満ち溢れ、全力を投じて目の前のことを処理するのですが、途中で体にガタが来て死んでいる状態に陥ります。

なので、
・勉強したいのに、体がしんどすぎてできない
・やりたいことがあるのに、体がしんどすぎてできない
などのことが必然としておきます。

そして、このパターンの最悪極まりないのは、ちょっと元気になったり、体が少し無理だなぁと思っても活動を止めないことです。なので、体がどんどん侵食されていきます。良くありません。

○身体的体力>精神的体力

これは、あんまり僕はなったことはないのですが、精神的にはあんまりやる気も起きないけれど、体は元気もりもりというパターン。やる気も何もないので、ダラダラ過ごしますが、身体的には元気なので周りからは何か言われることも多いでしょう。

体は元気だけれども、何もやる気が出ない。これは機械はしっかりしているが燃料が何もない車に等しいです。何も動かないし、何もできない。人間の燃料は精神なのかもしれません。

○コントロール可能なのは精神の方ではないか。

最近、オリンピックがありましたが、僕はメダルうんすんはあんまり興味がなくてプレーなどは見ないのですが、その後の会見などは割としげしげと見たりします。引退する選手、結果に満足できなくて現役続行を続ける選手、満足の行く結果を出してなお現役を続ける選手、様々いるかと思います。

体的にもう限界を迎えている選手が、精神的にはやる気に満ち溢れているものの、自身の体力的な限界とのはざまに揺れているシーンは割とこの理論を当てて考えてしまいます。

逆に、精神的に満足してしまい、どうすればいいのかわからなくなってしまっているが、体的にはピークはもう少し先にありそうな選手を見ても、同じように考えてしまいます。

どちらにも共通して言えるのは、体のピークはある程度制御できたとしても、人間の生理的な状態には逆らえず、コントロール可能なのは精神の方だけなんじゃないかなということです。もちろん、精神と身体は連携しているので、ある程度精神の年齢もピークなどはあるかと思います。

しかし、自分に何を見せ、何を感じさせ、何を考えさせるか、自分をどんな状況に身を置くか、それによって精神的な体力はある程度コントロールできるのではないか、ということです。身体が限界を告げ、何もできないとする状態が、精神にも影響を与えないようにすることはできるのではないか、と思っています。

今を全力で過ごすことには変わりはないですが、精神的な体力を維持し続け、今後の身体に相談をしていくことは非常に重要だと思っている今日のこのごろです。