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St_Hakky’s blog

心理学/人事/就活/留学/データサイエンス/バイオインフォマティクス/日頃思ったことについて書きます。

"美しさ"について

その他

こんばんは。

最近、韓国の女性アイドルグループの音楽をyoutubeで流しながら作業することが多いのですが、そのせいもあっていろんなグループがあることをおぼろげに分かってきました。

何で韓国のアイドルグループの音楽を聴いているかというと、歌詞が頭に入ってこないから笑(その点では洋楽も良く聞く)。

まぁそんな感じでいろんなグループを見ていると、どうもみんな整形しているし、ちょっと調べてみると整形している数が日本に比べて多いようなきがする。というよりも、アイドルの中では、日本よりもよりオープンに整形していることを公開しているようなきがする。

そんなことを友達と話した時に、少し”美しさ”の定義で議論になったことがあったので、自分の考えを書こうと思う。

○美しいとは何か

ここでは、特に容姿に関する美しさとは何か、について述べる。個人的に美しい状態というのは、ある程度個人の努力に左右されると思っているので、整形も努力に含めてしまえば、それを使って美しくなろうがなんとも思わない。

しかし、整形は美しくないという人も多い。つまり、ありのままが良い、君らしくあることがいいということだと思うが、これはどこで教えられたのか。整形はダメで、化粧はなぜ良いのか、なぜ化粧水などの美容関連のことは良いのだろうか。ありのままの定義から外れてしまう。

なぜ顔をいじくることに負のイメージを抱くのか。タトューなども同じ考え方だろう。なぜか体を外的な力によって変化を加えることに、すごく負のイメージを持つ傾向があるように感じる。もちろん、行きすぎた事例があるから、軽度のものまでそれは良くないとされている部分もあるように感じる。

ありのままの美しさ、元来持っていた美しさが良いと整形を否定する層はいうけれど、そんなものは時代によって変化するのであって、ありのままの美しさの定義など変わっていく。それならば、その時代にあった”美しさ”の部分集合がいくつもあって、その集合が全体的な美しさとなっているはずである。

上記より言えることは、”美しい”など幻想だ。企業などによるブランディング戦略によって、美しさを定義され、それに影響されているのである。そうであるなら、美しさなど元々なく、幻想だと考えることができる。

○それでは何を美しいと私は捉えるか

こんな変な考え方をするからかもしれないが、世間で定義されている幻想の”美しい”を手に入れるため、努力するプロセスに私は惹かれ、それを”美しい”と感じる。”美しい”を手にし、その後にある自分の目標を達成するプロセスが好きだ。

全くわからないが、おそらくアイドルグループであれば、世間でたくさんの人に認知され、ファンが多く集まっている状態がいいのであろう。

みんな大なり小なり各々外部から教えられた”美しい”を自分なりに目指し、他人に好かれようとしている。元々、美しいなどなくて、みんながイメージする美しいの定義に向かって頑張っているのである。

過程こそ素晴らしい。そこを諦めて、何もしていない人は、当然幻想である”美しさ”も、私が言うようなプロセスの”美しさ”もない。

○整形による美しさは幻想における美しいのパーツにすぎない

韓国のアイドルグループの、いわゆる”作られた美しさ”の女性をよく目にするが、それは顔はいじれたとしても、肌や体型やスタイル、ダンスや歌などは努力していなければ、あのレベル感まではいかない。

また、整形で顔がいじれる状態にあるとなれば、他の人も当然同じ状態にあり、そうするとその中で目立つには個人の魅力を別で出す必要がある。その観点でいけば、それでここまで売れているのだから、それは整形以外にもそれ相応の何かがあると思う。

よって、なんだかんだ綺麗だと思えるし、努力している過程も含めると、何というか逆に良いとすら思ってしまう。これを踏まえると、整形による美しさは”美しい"に含められると考えられる。



すべてに何故を突きつけていくと、見え方が変わってくるというけれど、今回の”美しさ”の定義は、私はそういう風に考えた。



では何故、努力のプロセスが美しいと、私は思うのだろうか。

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