St_Hakky’s blog

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留学して、英語をどう勉強するか考えてみた:パート1

こんにちは。

サンフランシスコにきてから英語学習の方法についても色々考えました。留学した理由の一つに、資格用でない英語の学習方法を探ることにあったので、ここまでの考えをまとめておこうかと。

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留学に来てからというもの、これまでTOEICの点数や受験に向かって方法を確立してやってきた自分にはなかなか考えが及ばない授業スタイルと学習法を見せつけられています。最近は授業も余裕が出てきたので、授業のスタイル、何をどうここの英語教師は考えて授業をしているか、などを考えながら授業を受けています(4週間だし、ここで英語の勉強が完結するわけではないので)。

〇書くこと

書くこととしては、

  1. 英語が"できる"状態とは?
  2. どう母国語を習得したか?
  3. 自分の考え方、興味は何か?それをどう英語学習につなげるか?
  4. 英語を勉強する目的は何か?
  5. 英語をどう日本で使うか?
  6. 評価と方法の改善をどうするか?
  7. 自分の場合

です。長いので、ここでは1について書きます。

〇英語ができる状態とは何か?

■評価基準で英語ができたりできなくなったりする
そもそも英語、言語が「できる」という状態が何かということです。何故これを言うかというと、英語が「できる」というのは目的とそれに対する評価基準によってころころ変わるからです。

これは語学学校のように1つのクラスに様々な国から、様々な英語の勉強の仕方をしてきた人が集まると、すごく感じられます。スピーキングかグラマーの授業か、英語で読む者がビジネス分野の話か歴史や文化の話か、はたまたコンピュータの話か、これらによって「できる」人達が変わるからです。

例えば、今日はスラング(話し言葉とか)を勉強する時間があったのですが、初見では一つもわかりませんでした(笑) 先生が詳しく解説してくださったので助かりました。それに対し、ヨーロッパ圏の子は2つに1つはわかっている様子でした。しかし、これがライティングや文法の授業になると逆になります。

これが何を意味しているかというと、評価基準によって「英語ができない」となるということ。例えば、TOEICの点数で「英語ができる」事を測っている会社の場合、日常会話ならペラペラ英語が喋れる600点の子と990点で論文なども読めるが一つも喋れない人間の場合どちらが「できる」と評価されるかというと後者になるといったような形です。

■目的と評価基準を決める
上記から、英語学習者が意識しないといけないと感じるのは、「自分が英語を勉強する目的と、それに対する評価基準は何か?」ということ、そしてそれを「自分で作らないといけない」ことです。もしこれを意識せずに自分が日本語を喋って使っているように英語を使うことを英語が"できる"状態と考えるのなら、おそらくそんな状態には到底たどり着けませんし、多くの場合そこまでの努力は無意味だなと感じます。

例えば、英語でニュースなどを読んでいると、

  • 政治の仕組みがよくわからないから単語はもちろんですが、単語がわかってもよくわからない
  • スポーツがこの国にで何が流行っていて何が流行っていないのかわからないからこの記事が意味する重要度がいまいち伝わらない
  • この国の歴史や文化がわからないからこの文章の意味するところや単語がわからん

などなど日本語でなんだかんだ日本の歴史や政治関係の事を勉強してきたからわかる単語や意味を、英語でもやろうとすると膨大なことになると、そしてわからない原因が、純粋な語学力ではないと、当たり前ですが気づきます。学校で勉強した数学も社会も理科も全部日本語の授業と考えれば膨大な量です。なので、ネイティブみたいになりたいとかではなくて、

「目的とそれに対する評価基準を定め、それを最大にしたい」

と考えたほうが、英語が「できる」ようになるということ。目的単体だけで明確にできるのなら評価基準はいらないかもしれませんが、評価基準があったほうが目的がより明確な意味を持つようになりますし、自分がとった方法の評価を行うのであれば基準はあったほうが良いかと思います。

目的と評価基準が全てととらえるなら、目的に対して評価基準に入らないことはやらなくてもいいということになりますし、そのほうが「できる」速度が上がります(単純に範囲がせばまりますし)。

■日本の英語教育の成功

そういう意味では、日本の英語教育は成功しています。なぜなら、英語が日常生活で必要になる機会が少ない日本人にとっては、日常英会話よりも硬派な文章を読んだり書いたりする必要性がある。ということは、文法がしっかりわかっていれば難解な文章も単語を調べたらしっかりと追っていけるので、必然的に文法中心の授業になり、評価もそれに沿ったものになる、ということです。日本の有名大学でその事をわかって英文和訳問題を残している大学もあります。最適化されています。批判の対象となるのは、評価基準が違う人達が日本の英語教育を見るからです。

■目標に対する評価基準を満たすことで成果を最大に

自分で勉強する際の話にもどります。目的と評価基準をおそらくほとんどの人がもっていないと思われるのがわかることとして、語学留学やDMM英会話が流行ったという事実です。「英語を勉強する」というあいまいで評価基準のない目的で利用することを「良い」と思う人が多かったからはやったのだと思います。

例えば、スピーキングを鍛えたい、という目標があったとします。

んじゃ、何を話せるようになりたいのか。

それは原稿があってもいいのか。質疑応答がある国際学会のような場面で話すのか。それとも日常英会話か。ビジネスか。

などなど、単にスピーキングをとってもこうなります。

成果を最大にするなら、目的と評価基準を決めて戦略を組み立てたほうがいいと感じます。戦略の立て方などは後の方でも述べますが、ひとまず目的と評価基準を定めて、英語ができる状態を自分で作ることが大事だということです。

これ、凄く大事だった。もっと早く気付けばよかったけど、なんか「喋れればどの場面でも対応できる」とか「このレベルの英語が読めれば」とか思っていた自分がはずかしい笑 パート2に続く。